今回は7月8日の、いわき市遠野町為朝(ためとも)集落の訪問について報告します。
訪問したメンバーは、音楽ユニットPallettes の宮川さん、谷本さんと、Link with ふくしま の佐藤、菅野です。
Pallettesさんは東日本大震災のチャリティーソングを制作し、その収益を被災地に寄付しようとしています。その支援先の一つとして福島県いわき市を考えていらっしゃるということで、私たちLink with ふくしま がお手伝いさせていただいております。
今回訪問した為朝集落は常磐自動車道いわき湯本IC(東京から3時間弱)から車で30分程の山間にある集落で、稲作を中心とした農家で構成された集落です。東日本大震災から1年4カ月経った今でも断水しているということです。
お話を伺ったのは為朝集落の世話人をしている折笠茂子さんです。
以下、お話の内容に沿って報告します。
【3.11直後の様子は】
東日本物流が止まり、いわき市は食糧もガソリンも無かったが、自分の家は農家で機械にガソリンがあったためそれを抜いて使った(取扱のできる人が近所に居たそうです)。食糧がない施設などに食べ物を配って回った。
【なぜ断水しているのか】
為朝集落は東日本大震災の本震(3.11)では大きな被害はなかったものの、1ヶ月後の余震(4.11)の影響により、今に至るまで断水が続いている。
4.11の余震は為朝集落の直下であったため、断層が動き、地下水の流れが変わってしまったため、従来使用していた水源が使えなくなってしまった。
他にも断水している集落があり、井戸を掘ってみたが、(鉄分を多く含んだ)飲料水どころか洗濯にも使えない水しか出ない集落もある。
【なぜ断水している事実が知られていないのか】
以前から、為朝集落では水道局の水道(上水道)を使っていなかった。市の水道ならば市の管轄であるから迅速に復旧し、していない場合はその事実が報告される。しかし、水道が整備されていない地域では、自主的に水源を確保していた(簡易水道)。そのため、震災でその水源が壊れても、いわき市の水道復旧率に計上されないため、いわき市の水道は完全復旧したことになっている。
また、地上の建造物の損壊は災害認定されるものの、地下の水脈が変わったことは災害と認定されない。
【水が出ない間はどうしていたか】
現在でもペットボトルの水を使っている。自宅の裏にはペットボトルのゴミの山がある。ホームページを設置してから、資金だけでなく水の支援も多くなった。集落で大きな水槽にプールし、そこから必要な分だけ取ってきている。
最近着手したばかりの水道工事の現場です。 |
十分な水が確保できないため、本来の美しい棚田がなくなってしまっています。 |
4.11のがけ崩れの現場です。付近の川をせき止める程の土砂が崩れたようです。 |
分厚い冊子が送られ、非常に細かい計算をさせられる。しかし、個人で理解・対処できるものでもない。いろいろ注文をつけられ、それに対応する手間とコストを考えると割に合わない。
以上のような様々なお話を伺った後、集落内を案内していただき、周辺の様子などを視察してきました。
東日本大震災から1年4カ月あまりが経ちますが、今回の訪問は、首都圏に暮らす者にとって日々薄れつつある記憶を思い返させ、支援の手が行きとどいていない現実を目の当たりにする機会になりました。
今後もより一層、現地に密着した支援を模索しつつ、福島の復興を加速させるべく努力していきたいと思います。
ご支援・ご協力をよろしくお願いします。
Link with ふくしま 東京スタッフ 菅野仁紀
0 件のコメント:
コメントを投稿